2005連合石川平和集会   

2005連合石川平和集会 05.9.21(水)フレンドパーク
ノーモア被爆者 ノーモア核兵器 ノーモアWAR
  県教組より 11人参加

【主催者あいさつ】(川淵尚志 連合石川会長)
・戦後60年、被爆60年のふしめの年。いろいろなとりくみを模索した。多くのメンバーが沖縄、広島、長崎へ。
・体験談を聞きながら、お互いに平和について考える集会にしていこう。

【2005平和行動in沖縄,広島,長崎集会の報告】
・沖縄・・・(電機連合)ひめゆり学徒の人「戦後60年たってもそのときのことで悩まされる。」
・広島・・・(ゼンセン)自分の子どもをつれてまた訪れたい。
・長崎・・・(県教組 宮越章雄さん)高校生がいっしょうけんめい訴えかけていた。平和を願う人たちは考え方をいっしょにして行動することが大切と感じた。被爆者のことば「二度と被爆者をつくるな」 平和集会での小泉首相のあいさつに違和感を感じた。

【ビデオ研修】「ヒロシマ・ナガサキ核戦争のもたらすもの」

【講演】「戦争体験から反戦・平和を考える」
(中野喜佐雄 野々市町議会議員)

・83歳。体験者があまり語らないのは、やってはいけないことすべて(殺人、強姦、窃盗・・・)やるので話をしたくない。
・この間の選挙のとき、イラク派兵の議論がなかったのが残念。
・満州に行った。開拓ではなく侵略だった。
・19歳で軍隊に入った。志願だった。「天皇陛下につくすことだ」と言われた。ソ連と中国の国境の町に行った。拉致、殺人の繰り返し。従軍慰安婦も本当にあった。日本の軍隊が朝鮮や中国の女性を強制的につれてきた。兵隊は、町や部落に行って強姦もした。戦争とは、そういうことばかりが行われる。「食料は現地調達」と言われ、略奪もした。
・中国の人が日本をよく思わないのはあたりまえ。そういうことを小泉さんはどうしてわからないのか。
・8/9にソ連軍が攻めてきた。戦車の下にもぐる特攻を準備していたが、終戦になった。逃げる途中、日本の子どもたちが泣いていた。母親が置いていった。そのことが忘れられず、残留孤児のお世話をしている。せめてものつぐないという気持ちで。
・戦争は絶対やってはいけない。軍隊はみなさんを守ってはくれない。なにごとがあっても戦争をしてはいけない。


集会アピール】(国吉正人)
・県教組には大切なスローガン「教え子を再び戦場に送るな」がある。
「平和こそが労働運動の原点である。」このことを再認識し、世界の恒久平和を掲げ、すべての戦争に反対し、平和のための行動を職場から、地域から展開することを確認して、集会アピールとする。

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