中越地震ボランティア


新潟県中越地震のボランティア活動
        11.14〜17日  新潟県山古志村にて

石川からは県教組の船塚さん、高教組の大倉さんが山古志村に行きました。別の日に、金沢支部の方がお一人、ボランティア活動にとりくまれたと聞いています。
新潟県中越地震ボランティア活動について
               
石川県教組 副委員長 船塚 俊克

山古志村(虫亀地区)避難所に入って。
 
 11月14日(日)〜11月17日(水)三泊四日の日程で長岡市内の山古志村虫亀地区の避難所(県立明徳高校)で活動してきました。正直言って行くまでは24時間態勢・寝袋・食事は等々不安な中で一路新潟県へ車で入りました。途中、北陸自動車道の柏崎ICに近づくと車線規制が始まり繋ぎ目の凹凸がかなり見られ路肩にも亀裂がみられ、回りの家も屋根にブルーシートが被っていて一緒にいった高教組の大倉さんと「新聞やテレビからはみえんけどすごい状況やね」と話しながら長岡市の勤労会館に行きボランティア登録をしてすぐに長岡市内の明徳高校避難所に入りました。

 体育館内の受付簿(8種類の中のボランティア簿)に住所名前を記入し山古志村の避難所主任に挨拶をすませ、日教組の馬場さん・染谷さん前任者の富山県教組の安元さんと板屋さんから丁寧な引き継ぎを受けました。凄い量の引き継ぎ内容で少々驚きましたが板屋さんから実際に仕事を通して覚えた方が早いですよのアドバイスあり。

 避難所には295人の虫亀地区の方々大阪府内の保健師さん一般ボランティアの方、そして山古志村避難所担当職員をサポートする新潟県職員2人、TJS(連合関係)で2〜3人、日教組2人で24時間活動をしました。

 仕事の内容は、朝6時から夜10時の就寝まで、@体育館の中で外来者(報道・各種ボランティア・親族・友人・寄付者など)の受付(不審者対策)、A食事や風呂等各種連絡アナウンス、Bお年寄り等トイレまでの付き添い、Cゴミの後始末(毎食事で15袋前後)、D救援物資のチエックや搬入整理整頓(高校内1F〜4F各フロア)、E消灯後(夜10時)から起床(朝6時)までの夜間、余震などに備えての交代で(2人一組)宿直業務が主な業務内容です。

1 外来者受付が避難所内では大変重要な役割を持っています。特に不審者等の有無やマスコミ対策(避難所生活が大変長く山古志村の状況に対する不安からストレスがたまっている)朝から夜まで色々な方がひっきりなしに訪れます、その都度避難者名簿を確認し放送で案内等々でした。また、避難所専用の災害用携帯電話にも対応します、特に全く関係のない業者から住所を聞き出す人、生存の有無、県の災害対策本部からの電話など、連絡内容や相手の住所・氏名(同姓の方が大変多い)・電話番号を聞き館内放送をして本人に伝えます。(避難所内に無料電話3台・携帯電話3台・充電機器各種)
2 食事については、毎食自衛隊の方々が作り体育館まで運搬し住民の方々が当番制で(1部から4部)盛りつけや片付けをします。住民の方々のチームワークが大変よくスムーズな運営です。食事も本当にボリュームもありおいしかったです。でも食事の後の食器(毎回使い捨て)残飯の片づけが凄いゴミの量になります、45L入り袋で13〜15袋です。また、全部の袋に「災害ゴミ」と貼り付けをしないと有料になってしまう関係で忙しかったです。
3 お風呂については、自衛隊がグランドに作った仮設ですが浴槽は3mと2m位の大きさで脱衣場、着替え場所スペースもあり暖かく、住民の方は午後2時から午後8時まで一回30分・定員15人男女2時間サイクルで回ります。自衛隊の人ボランティア関係は午後8時以降にはいります。場所が体育館裏で雨風もあり移動がつらいと村の方々が話していますが、暖かいお風呂はありがたいしホットするとのこと。
4 救援物資等については毎日いる物(水・食器類等)余り使わないが必要な物(オムツ・タオル・洗剤等)など毎日調べて不足している場合は本部に連絡したり取りにいったりします。(困ったこととしてはリンゴやみかんが一杯あるのですがあまり食べられないので腐ってしまい箱から出して調べるのが大変)新聞は毎日4社が各100部配布、灯油は2日に一度業者が搬入します2日で300L使用です。また、朝早く仕事に行かれたり山古志村に一時帰村(ライフラインなし)で昼食用にパンが毎回50個〜70個必要でした。衣料品や寝具類は今後仮設住宅に移動するときに配布とのことで多くありましたが、時々住民の方から入れ歯用ポリデントが欲しい・・オムツのビックが欲しい・・等々注文してもなかなかこないで時々苦情を受けることもありました。
5 夜の業務が辛かったです、夜の10時消灯ですがひっきりなしにトイレの出入りがありました体育館内通路はシートでつまずいて転んだり体育館のドアが重く大きな音が出るなど山古志村のみなさんは本当に厳しい状況で避難生活を続けていることがヒシヒシと伝わってくる場面でした。
6 17日(水)13:00に日教組の馬場さんと小出さん新潟教組の中村さん後任の大阪府教組の高橋さん兵庫教組の堀尾さん、TJS関係の千葉県県会議員の3人に多くの内容を追加した引き継ぎ書をもとに説明し、長いようで短かった活動が終了しました。体育館を出るときに一般ボランティアの隊長(富山県の星野さん)に「あいさつ」お互い多くの言葉はないですが目頭が熱くなりました。

 最後になりますが、今回のボランティアに参加して本当によかったです。避難所生活をとおして色々な方との出会い住民の方との会話など、避難住民のみなさんの心遣いなど多くの経験は言葉では言い切れないですが「2度と無いことを願って」助け合い・協力し合う・思いやりの心が実感できたな、として今回の報告とします。(体育館に貼ってあった言葉「全員で山古志村に帰ろう」が印象的でした。

 追伸ですが12月の中旬頃に山古志村のみなさんが避難所から仮設住宅に移動予定です。(山古志村役場(長島さん)から決定次第連絡あり)住民のみなさんが疲れた状態での「避難所の片付け」「荷物の運搬」が今後大変な作業になり人手が必要です。是非参加をして協力をしませんか。
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